今日、私は知らなかったシェイクスピアに出会った。
苦悩しながら傑作を生み出す天才ではなく恋に溺れ、その日暮らしで、頼りなくて、どこかダメな若者。でも、だからこそ——恋の勢いで傑作を書いてしまう人間としてのシェイクスピア。天才を遠くから仰ぎ見るのではなく、こんな人が隣にいたら、と思わせる像に。
現在、京都劇場で5月24日までの期間限定公演中の『恋に落ちたシェイクスピア』。ウィリアム・シェイクスピア(ウィル)と資産家の娘・ヴィオラとの隠れた恋が、名作『ロミオとジュリエット』誕生の原点だった——というフィクションでありながら、どこかに真実が宿っているような物語だ。
バケモノの子で主人公九太を演じ好印象だった大鹿礼生がウィルを演じるということで、京都劇場へと足を運んだ。なんといっても大鹿の武器はその歌だ。そんな大鹿が、ストレートプレイでどんな演技を見せるのか。それが一番の関心事だった。
中原詩乃のヴィオラ——圧倒的な立体感
まず圧倒されたのは、中原詩乃のヴィオラだった。聡明で芯のある女性としての佇まい、ケントと名を偽り男装して劇団に潜り込み、ロミオ役を射止める。男を演じる際の声の使い分け、そしてウィルと恋に落ちたときの燃えるような熱量。特に印象的だったのは、ケントの正体が自分だとバレたとき、
「私は芝居がしたかった」——
その一言に、女性が舞台に立てなかった時代への悔しさと、それでも諦めなかった渇望が全部詰まっていた。どの瞬間も立体的で、一切ぶれなかった。
大鹿礼生のウィル——スルメ型の魅力
対して大鹿礼生が演じたウィルは、正直、最初は戸惑った。前述したように、頼りない。恋に溺れ、スランプ気味で、ヴィオラとのやり取りも、詩人仲間のクリストファー・マーロウに助け舟を出してもらう始末。
でもこの頼りなさが癖になる。なんというか守ってあげたくなる。しかし、この頼りなさすぎるイメージが強すぎて、新作の稽古場でのウィルは、ほんとにシェイクスピアなのか?と思うほどだ。恋に溺れた男としての大鹿は輝いているが、その分、劇作家としての貌がまだ見えにくかった。
でもこの人、スルメだった。
終盤、ウィルがロミオを演じ、ヴィオラがジュリエットを演じるシーン。ジュリエットが死んだと思い込んで泣くウィルの姿に、鳥肌が立った。恋愛シーンでこそ本領を発揮する大鹿ウィルが、ここで全部回収するのだ。
クライマックスに見た「文豪」の芽吹き
そして、クライマックス。雪が降りしきる中、ひとりで羽ペンを手に取り、黙々と『夏の夜の夢』を書いていく。その顔はにやりと笑っていた。ヴィオラとの恋、別れ、激動の体験すべてが原動力となって、最後のあの不敵な笑みに注ぎ込まれているのだと。序盤の頼りなさも、すべて伏線だったのだ。
くすぶっていた劇作家が恋に溺れ、その痛みを胸に、あまたの傑作を生み出す文豪になっていく——あのニヤリの中に、その芽吹きを感じた。


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